baragi’s blog

教師を目指す若手商社マンです。大学時代は語学の習得に明け暮れ、卒業後すぐにバックパックを背負って北米を横断してユーコン川へ行ったり遊んだあと、、通訳派遣業を経て現在京都で働いています。教師を目指すうえでの葛藤など綴ります。お見苦しい所もあるかもしれませんが、どうそよろしくお願い致します。

承認の欲求

どうも初めまして。baragiと申します。
商社で営業をしていますが、高校の英語教師を目指しています。
駄文しか書けない26歳のひよっこですが、頭の中を整理するうえで書いておこうと思い
ブログを始めてみようと思います。
お読みくださる皆さま、どうぞよろしくお願い致します。
 
今日は、ECCが主催する、大阪のグランフロントで行われた弁論大会に行ってまいりました。
今どきの高校生はすごい、、あんなに流ちょうに英語を話すとは。
ちなみにテーマは環境問題でした。
ザンビアから大使の方が来られておりました。コバルトを輸出している国なのですね、
私の会社はコバルトを含む工具を売っております。
 
日本各地区の代表選手が集まる全日本大会の決勝、
高校の部と大学の部と別れており、
終始聞いておりましたが中身の少ないスピーチでした、、
発音や話し方自体に重きを置くのが趣旨なのでしょうか?
前大会の受賞者映像を見るとルックスと発音、話し方に重きを置いている印象を受けました。
各出場者、表情を豊かに、ジェスチャーを交えて、という姿勢は見て取れましたが
統計の数字もざっくりで具体性に欠ける。学生らしい知識量で、ということなのかも。
ただ、中身云々は大会当局と指導者側の問題。
そんなこと言っている私はあんなに流ちょうに話せるかどうか疑問なので
皆様には称賛しかない!聴衆の前で訴える姿はキラキラしておりました。
みなさん”NEED TO CHANGE SOMETHING”を誇張していたように感じますが
目標はあいまいでも、手段はなにかしら提示してほしかった、、
と、批判はこれくらいで。こういったコンテストは素晴らしいものです。
本題。尊敬する英語の先生と一緒に行ってきました。
商社マンから英語の教師に転向する。
その相談の中で、こんな話になりました。
「何を求めているのか」
動機の話です、なぜ先生になるのか。
 
①商売が嫌い≒数字に追われるのが嫌。
 よくある理由です。逃げです。右から左で、薄利の世界。
 付加価値=利益。利益はお客さんからの感謝のパロメータ。
 稼げば稼ぐだけ、日本の、ひいては世界の役に立っているという理屈。
 最新の技術を客先に届け、情報を提供する。
 そこにやりがいを見いだせる人はとても幸せな人だと感じます。
 どうも私には肌が合わない。お金を稼ぐことにやりがいを見いだせない。
    営業出て数年で何がわかるのかという気がしますが。
②自分の好きな世界
 英語が好きです。大学の時TOEICなる紙切れテストに熱中し、850点超えたあたりで
 ペーパーテストの無意味さに気が付いた。
 それこそ紙切れのテストはぺらっぺらで、中身がない。
 これだけではだれにも貢献できない。これは日本国内限定の
 就活用の宣伝ツールだと感じました。
 でも語学の世界は好きです。自分のフィールドだし、英語を話している人を見るとシンプルに憧れます。大学の時の教授に強くあこがれています。法律事務所を経営し、
40歳手前で大学教授になったツワモノです。
 
③人に貢献できる
これは少し弱い動機ですね。
私のように迷いまくる人間を今後減らしたいなと、苦しむ人を減らしたいなと思う。
北米をバックパッキングして、商社で働いてみて、
勉強≒知的欲求の充足に気づいた今、教師を目指している。
ドロップアウト、社会人経験の経験があり、、学問のおもしろさに気づいた人間が
歴史だとか民俗学だとか、これは僕が好きな別の学問なのですが、
京極夏彦を読む影響で鬼と製鉄の関係など民間伝承が好きになりまして。ただの趣味です。
いろいろな話と絡めて、知的欲求・自己実現を渇望する人間を作りたい。
もちろん相手の希望によりますが。
 
そう相談すると、
「承認欲求が強い」「野心家だね」と言われました。
承認欲求は、人間の欲求のピラミッドで2番目に高く、
自己実現の次の階層です。
 
私は欲求不満なのだそうです。だから、教師を目指すことで本当に
満足できるのかよーく考えなさいと言われました。
 
すごく厭らしい考えが浮かびました。
「あこがれた大学の教授のように、知性のあるかっこいい大人になりたい」
「お山の大将になりたい」
「今より教養(一般常識や雑学的な知見)を積んで、自分の知識の欠落を埋めて満足感に浸りたい。でもって『すげー賢い』といわれたい」
・・・薄っぺらいですね。本当に。
けど知的欲求を読書などで満たす瞬間って、素晴らしいですよね。
 
ところで、私は大学の友達の多くが嫌いでした。
彼らはいつも面白い話に花を咲かせ、和気あいあいとしていました。
私は冗談を言って笑わせるのが不得意で、いつもいじられていました。
その状況が嫌で、勉強して誰よりも賢くなりました。見返すためです。
しかし、状況は変わらず、結局卒業まで表面的な付き合いをしました。
 
このエピソードを先生に話したところ、私は「彼らに認めてもらいたかった」のだそうです。
すごくしっくりきました。しかし、需要がずれているのだともいわれました。
彼らが求めているのは「所属の欲求」であり、「つながりを実感すること」だと。
何かを目指して達成感に浸ることではなく、連帯感により満足感を得るそうな。
私が大学に求めたのは、「目上からの承認」。
つまり自分の好きな「語学」というフィールドで、”自分が”尊敬する教授から「すごいね」と言ってもらうこと。
逆に言えば、自分が勝手に決めた/認めた人間以外は、相手の意見はさておき、全て敵だそうです。
同じフィールドで学ぶ学生でも、あくまで目上から認められることに達成感を覚えるため
同い年は是認ライバル、私は彼らを嫌いになるはず、とのこと。
その通りでした。「所属の欲求組」の方々、ライバル、全員嫌いでした。
でも、切実に同志が欲しかった。くさい夢を語れる仲間が。

 

今回の話の着地点は、「私は転職して本当に幸せになれるのか」ということですが、
「自分の決めた道をよくも悪くも一度経験しないと満足できない頑固さ」
を持っている私は
「自分の好きな英語学の世界に戻り尊敬する教授に認めてもらい続けること」
を達成すれば満足できるのか?
・転職先で「承認」されなければまた辞めるの?
・女に認められたいの?要はもてたいの?
・自分の成長を実感したいの?
・「自分の尊敬する人に認められたいの?」など
いろいろなことを聞かれましたが、
 
「承認の欲求」を今の会社で絶対に埋められないのか?
→これは少し考える必要があるだろうな、と感じました。
でも上司やほかの社員やお客さんに「すごいね!」って認められても
うれしくねーな。笑
3000万円決めてもうれしくなかった。
 
やっぱり一度やってみるべきだな、という終着点に今日も行き着く。
「自分のアイデンティティ(存在価値)≒語学力⇒
教育の世界で認められたい」という本音がいいことなのかわかりませんが、
やっぱり一度、先生やってみよう。という結論に行きつきました。
 
ちなみに今日は父の日。
父にはセンスと手ぬぐい、MYFIRSTSTORYのCD。
祖母の家に行き、かわいいアイドルいとこちゃん♀と戯れ、
折り紙で作ったくまさんをもらってきました。

 

散文で申し訳ありません。
こんな私でも発信をしてみたいなと思います。次は鬼の話を、民俗学の話を書きたいと思います。
ご閲覧ありがとうございました。
おしまい